- 街道の歴史に声を傾け、遥かな道をたどる。北九州市 長崎街道 木屋瀬宿記念館 -

北九州市立 長崎街道 木屋瀬宿記念館

道が残した筑前六宿

史跡を訪れ、街道をたどる、宿場それぞれの表情に出会う旅

 市内に点在する長崎街道跡をたどって木屋瀬宿に至ると、宿場めぐりの楽しみがあることに気付きます。

 かつて筑前六宿(ちくぜんむしゅく)と呼ばれていた黒崎、木屋瀬、飯塚・内野・山家・原田。

 これらの宿場は人通りも多く、活気のある宿でした。街道に残る史跡、それぞれの趣きが昔の旅へと誘います。

常盤橋

 小倉城下の紫川河口にかかる大橋で、江戸時代前期には長崎街道の起点ともなっていた重要な橋です。また、小倉城下町の橋としても、多くの人で賑わっていました。北九州市の紫川マイタウン・マイリバー整備事業によって、平成七年に歩行者専用の太鼓橋としてよみがえり、「木の橋」と呼ばれて市民に親しまれています。

黒崎宿

 旅人の手形改めを行なう関番所がおかれていました。

 この宿は福岡藩では唯一、上方への渡航船(集合貨客船)が発着する港をもつ宿場町でした。現在、宿跡には石碑や説明板が建てられ、近くには市指定文化財(史跡)曲里の松並木が保存されて、旧街道緑地として整備されています。

 散歩道として利用する人も多く、市民の憩いの場として穏やかな時を刻んでいます。

立場茶屋銀杏屋

 諸大名や長崎奉行などが休憩した場所です。庭に銀杏の大木があることから「銀杏の木」、「銀杏屋敷」とも呼ばれていました。

 長崎街道に唯一残る、「上段の間」をもっ立場茶屋として市指定文化財(史跡)となり、現在、一般公開されています。

石坂の急坂

 黒崎宿と木屋瀬宿との間にあり、「アケ坂」「中の谷」と呼ばれる急坂を登る難所であったため、大名も乗物を降りて歩いたといわれています。そこで、近くには休憩所として立場茶屋銀杏屋が設けられました。

 現在、下石坂への道には石段と手すりが設置されています。

木屋瀬宿

 遠賀川が脇にあることから、宿場としてだけでなく、川舟を利用した水運によっても古くから栄えてきました。その歴史は、江戸時代以前、中世にまで遡ることができます。

 商業が盛んだったこともあり、江戸時代の倖まいを残す町家が、今も各所に見られます。北九州市による「都市景観整備地区」に指定され、官民一体となって町並み保存と文化継承を行なっています。

 「長崎街道木屋瀬宿記念館」は白壁の外観で、宿場建築の趣きがあり、周囲の町並みと溶け合っています。

飯塚宿(飯塚市)

 この宿場にはオランダ使節の宿泊所、オランダ屋敷がありました。現在その場所には石碑が建てられています。

 飯塚の産土神、納祖八幡宮は飯塚の地名の由来の1つにもなっている神社で、街道を旅する人びとを見守ってきました。

 明正寺には大名が出発の際に行列を整える「 勢屯せいだまり 」があったと伝えられています。

内野宿(飯塚市)

 静かな山あいにある宿場で、江戸時代の初め、内野太郎左衛門によって聞かれました。

 豊かな自然に固まれ、今も多くの旧旅龍の名残りを見ることができます。

 葛の名産地で、幕府献上御用、黒田候御用などの看板が残っており、冷水峠へと続く道では、古い逸話のある首無し地蔵が祀られています。

冷水峠

 生い茂る木々、険しくも美しい山道は街道の難所に数えられてきました。

 内野宿から山家宿へと向かう道には、石畳や郡境石が残り、当時の街道の姿を垣間見ることができます。

山家宿(筑紫野市)

 慶長十六年(1611年)に山家の桐山丹波によって開かれた宿場です。

 恵比寿石神があり、これは寛永十年(1633)に桐山丹波の家臣、志方彦太夫が建てました。筑前六宿の中では、木屋瀬宿とこの山家宿に構口が保存されています。

原田宿(筑紫野市)

 肥前、筑後の両国に接するため、関番所が置かれた筑前国境の宿場で、筑前六宿の西端に位置しました。

 宿場の名物といわれた、はらふと餅。
「はらふと餅を売る絵」が残っており、近年、宿場町の整備が進められています。

遠賀川

 のどかに広がる河川敷が特徴的な遠賀川。旅人の渡しがあり、川舟が藩米の運搬を行ない、石炭船がくだり、時々に姿を変えてきました。

 現在、河川敷には自然があふれ、春は菜の花の名所となっています。

大銀杏

 木屋瀬宿記念館近くの遠賀川の堤防上に、銀木口の大木があります。
かつては、渡し場の目印となっていた古木です。
道路は木を避けて舗装され、自動車は幹を廻り込むように左右に分かれて、すり抜けて行きます。

長崎街道

北九州市立 長崎街道木屋瀬宿記念館

〒807-1261
北九州市八幡西区木屋瀬3-16-26
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FAX 093-617-4949